とくに理由もないのに、
心の奥にやさしい懐かしさが満ちる瞬間があります。
それは海の波の音を聞いたときだったり、
誰かのやさしいまなざしにふれたときだったり。
その感覚は、言葉にならないのに、
たしかに“知っている”という感覚。
まるで、遠いどこかで暮らしていた
魂の記憶が、そっと胸の奥で目を覚ますように。
スピリチュアルな世界では、
“レムリア”という古代の文明が語られています。
それは、まだ言葉も国境もなかった時代。
人々がテレパシーで心を通わせ、
自然や星と共に暮らしていた、と。
争いや上下関係のない世界で、
やさしさと調和、母性的な愛があふれていたといいます。
私はその話を“信じる”というよりも、
なぜか“知っている気がする”のです。
レムリアと聞いて、最初に浮かぶのは「水」の感覚です。
流れる、包みこむ、溶けていく、
そんな水のような存在でいたいと思うとき、
私はきっと、内なるレムリアに触れているのかもしれません。
それは、誰かを癒そうとするよりも、
ただ静かに、“今ここ”にいることを大切にする姿勢。
やさしさとは、力ではなく、波のような在り方なのかもしれません。
現代の忙しさや、絶え間ない刺激のなかで、
私たちはいつの間にか、「静けさ」を忘れてしまいます。
けれど、ふと一人になったとき、
空を見上げたとき、
お湯を飲みながら息を深くしたとき。
そんな瞬間に、
私たちの魂は、かすかな声でこうつぶやくのかもしれません。
“あなたは忘れていない。
ただ、思い出す準備ができただけ。”
きっと、レムリアは「過去のどこか」にあるのではなく、
私たちの内側に、今も静かに息づいているのだと思います。
やさしさにふれるとき
自分に戻るとき
涙があふれるとき
それは魂が、どこかで知っていた“在り方”に戻っていくプロセス。
それこそが、レムリアの記憶に触れているということなのかもしれません。
誰かと比べなくていい。
すごいことをしなくてもいい。
ただ静かに、自分のリズムで在ること。
それが、私にとっての“今のレムリア”です。
この場所で、そんな記憶の断片を
あなたとも、そっとわかち合えたらうれしいです。