ふと、懐かしさに包まれるとき
とくに理由もないのに、
心の奥にやさしい懐かしさが満ちる瞬間があります。
それは海の波の音を聞いたときだったり、
誰かのやさしいまなざしにふれたときだったり。
その感覚は、言葉にならないのに、
たしかに“知っている”という感覚。
まるで、遠いどこかで暮らしていた
魂の記憶が、そっと胸の奥で目を覚ますように。
レムリアという場所
スピリチュアルな世界では、
“レムリア”という古代の文明が語られています。
それは、まだ言葉も国境もなかった時代。
人々がテレパシーで心を通わせ、
自然や星と共に暮らしていた、と。
争いや上下関係のない世界で、
やさしさと調和、母性的な愛があふれていたといいます。
私はその話を“信じる”というよりも、
なぜか“知っている気がする”のです。
水のように、感じるように
レムリアと聞いて、最初に浮かぶのは「水」の感覚です。
流れる、包みこむ、溶けていく、
そんな水のような存在でいたいと思うとき、
私はきっと、内なるレムリアに触れているのかもしれません。
それは、誰かを癒そうとするよりも、
ただ静かに、“今ここ”にいることを大切にする姿勢。
やさしさとは、力ではなく、波のような在り方なのかもしれません。
韓国で出版された韓国語翻訳本を読みました。

この記事で触れている「水」の感覚について、さらに深く探求する一助となるのが、江本勝さんの著書『水は答えを知っている』です。
この本は、サンマーク出版から出版されており、言葉や意識が水の結晶に与える影響を美しい写真とともに示しています。私たちの想いが目に見えない世界でどのように作用するのかを教えてくれる一冊です。
まさに、魂が知っている「答え」を、水が示してくれるかのようです。
サンマーク出版:この本の出版社です。 『だれかの明日を晴れ晴れと』というテーマに共感しました。
忘れていた記憶を思い出すように
現代の忙しさや、絶え間ない刺激のなかで、
私たちはいつの間にか、「静けさ」を忘れてしまいます。
けれど、ふと一人になったとき、
空を見上げたとき、
お湯を飲みながら息を深くしたとき。
そんな瞬間に、
私たちの魂は、かすかな声でこうつぶやくのかもしれません。
“あなたは忘れていない。
ただ、思い出す準備ができただけ。”
こころの中にあるレムリア
きっと、レムリアは「過去のどこか」にあるのではなく、
私たちの内側に、今も静かに息づいているのだと思います。
やさしさにふれるとき
自分に戻るとき
涙があふれるとき
それは魂が、どこかで知っていた“在り方”に戻っていくプロセス。
それこそが、レムリアの記憶に触れているということなのかもしれません。
最後に
誰かと比べなくていい。
すごいことをしなくてもいい。
ただ静かに、自分のリズムで在ること。
それが、私にとっての“今のレムリア”です。
この場所で、そんな記憶の断片を
あなたとも、そっとわかち合えたらうれしいです。
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